IOI 2005 オブザーバー日記

守屋 悦朗 (早稲田大学) 


8/17 (Wed) 直行便がないので前日に出発

21:55 AF277 成田発パリ行。
ほぼ定刻どおり4:05シャルルドゴール空港着。飛行時間13時間。日本との時差は−7時間。


8/18 (Thu) 到着日

9:35 AF2048 パリ発ワルシャワ行。定刻の出発。乗機率は約70%。
定刻どおり、11:50にワルシャワ着。両替 1ズウォティ=約35円。
14:10 LOTポーランド航空 LO3913 国内線ターミナル。
15:00 定刻通り、クラクフ空港に到着。 出迎えは「Japan」の旗を持ったガイドのMaria嬢(20歳、Nowy Saczに住んでいて、State Higher Vocational Schoolの学生。英語を専攻、Higher Vocational schoolは高校より上で大学より下の、専門学校的学校)。
予定より1時間ほど遅れて送迎用のバスが来て、4:30頃に空港を出発。
7時頃にNowy Sacz(ノーヴィソーンジ)に到着。途中、ドミトリー(生徒達の宿泊所)で降りる生徒もあったりして、7時半頃にホテル(Obis Hotel Beskid)に到着。このホテルにはIC(International Committee)のメンバーやオブザーバーだけが宿泊。
荷物を部屋に置き、ホテルからバスでコンテスト会場のWSB-NLU(以下、WSBと略記する。1991年創立の私立大学(正確に言うと、universityとは称しておらず、instituteとのこと))へ来て夕食。9時10分のバスでホテルへ戻る。

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8/19 (Fri) 開会式

7時半に朝食(ホテルの食堂。バイキング方式)。コンテスト会場の食堂でもそうだが、必ずプルーンがあるのがポーランドらしいところ(空港の土産品売り場には、プルーンをチョコレートでくるんだものもある)。 韓国のキム先生とアメリカのPiel教授と再開(2人ともICのメンバーであり、チームリーダーではない)。
8:45 バスでWSBへ。韓国のリーダーと再会。
9:15−11:45 実機による練習時間。生徒一人一人にPCが割り当てられている。日本には練習用のPCが割り当てられていなかったが、無理やり頼んで、たまたま欠席者があったPCを使わせてもらった。
昼食は2つの食堂。セルフサービス。配膳カウンターがそれぞれ1つしかないので、混雑。
2:30 ホテルからバスで開会式へ。
3:15〜4:15 開会式はジムナジウム。
開会式の後は、ビュッフェでの軽食サービス。
体育館の外でバスを待つ間に、アイルランドやロシアのリーダーと再会。ほとんどの国でリーダーが若返っている中で、ロシアのリーダーはもう若くないのにいまだにリーダをやっている。親しかったベラルーシのリーダーが来ていなかったのは残念! 親しくない古顔も結構見かけた。
バスでWSBに戻り、夕食。
夜8時からGA (General Assembly.総会)のミーティング.IOIの規定の改正、大会regulationの改正(携帯電話を生徒から取り上げること etc.)ほかを議論。その後、1日目の試験問題3題について議論。議論はMountainsに集中。問題の設定が分かりにくいという意見が続出。
9:30 討議終了。翻訳開始。
11:00に翻訳に関するシステムのチェックを終了。ホテルへ帰るバスはもう無いので、IOIのオフィスでタクシーを呼んでもらった。

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8/20 (Sat) コンテスト第1日

ホテルを7:45発のバスがあったが、あえて歩いてみた。約20分。
8:30−9:45 試験が始まり、リーダー達は朝食を取りながら生徒達からの質問に答えることになっていた(試験は8:30−13:30の5時間)が、食堂で見かけるリーダー達の姿が少なすぎる。後で韓国のリーダーに聞いて分かったことであるが、昨夜の2:00に問題文の最終版が出た(しかも、Mountainsの文章がまるっきり変わってしまった)ので、それから翻訳をしなおさなければならず、終わったのが朝の5時だったとのこと。昼食後に、タイの副リーダーに聞いた話では、彼らは4時までだったとか。
3:30 問題の解答が公開される。
ロビーで解答を検討していたら、ポーランドのスタッフの一人であるSyslo氏が来て、雑談。
17:00から自由時間になったので、シティセンターに行ってみることになった(バスの便がたくさん用意されていた)。バスで15分くらい。
共産党時代の名残であるというカフェでアイスクリームを食べる。ジプシーの母子からお金をせびられたが、マリアが小銭を与え、我々にはお金を出すなとのこと。彼らは働かずお金をせびって暮らしている厄介者だとのこと。
レストランでは、できるだけポーランドらしい料理を食べようということになり、注文するまでメニューを見ながら30分近くもかけ、マリアを困らせた。「こんな我々はさぞ困った人たちでしょう」とマリアに言ったら、いやいや、こんな人たちもいますよ、と言ってマリアが挙げた例:

 ・クウェート:バスでなくヘリコプターで移動したい。
 ・韓国:観光のために、タクシーでクラクフまで行きたい(でも、タクシー代は800ズヲティしかかからないとのことなので、我々には驚くほどのことではないのだが・・・)。
 ・どこかの国からは、登録をしないで来た人がいる。

7:45のバスでWSBに戻り、8:00からGAミーティング. 各問題に対する生徒達の正解率を予想投票する用紙が朝食時にISCから配布され、その予想の結果発表が最初に行なわれた。韓国の予想がもっとも近く、賞品としてTシャツが贈られた。我々の予想も上位3位に入るくらい当たっていた。その後は、試験結果(問題)に対する討論が行なわれ、小さなクレームがいくつかあったが、問題文の大幅な変更が朝2時に行なわれたのはけしからん(マイナーな変更しかしないというのがGAでの決定事項だった)という強いクレームがあり、それに対してISC (International Science Committee.問題の原案作成を担当)からしきりに弁明があったが、結局は「すみませんでした」と素直に謝った。実際、翻訳をしなければならない身にとっては、大きな問題。10年前のオランダ大会のときに、長文で翻訳が予定時間より大幅に遅れて、結局、試験実施時間が変更になったことが思い出された。
GAは9時半には終了。

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8/21 (Sun) エクスカージョン第1日

ポーランドは熱心なカトリックの国(マリアの言うには、国民の75%がカトリック教徒で、55%が毎日曜日に教会に行くとか)。ホテルの近くに教会があり、毎朝6時と昼12時に鐘が鳴る。今日は日曜日なので、ミサがあり、朝早くから9時頃まで、拡声器で教会の外にまで礼拝の祈りや合唱が流されている。
9:00 バスでラフティングに出発。
11:30 舟乗り場着。1ボート12人まで乗って1時間半、13:00着。
1日3千人から7千人が利用する有名な観光地だとか。 川はスロバキアとの国境を流れる(右岸がスロバキア、左手がポーランド)。
着いてから、200ズヲティ渡されて、昼食を適当に取れとのこと。マリアの案内でピザ屋へ。10〜15ズヲティで大きなピザで、食べきれない。
2:00に出発、3時過ぎにWSBに帰着。
4:30 GAミーティング。Presidentへのノミネーション(韓国、中国、オランダ)と、IC(USA)とISC(オランダのTomと南アフリカの某氏)へのノミネーション(選ぶのは各一人)あり。そのあと、明日の試験問題3題について議論。Rectangle Gameだけにオブジェクションが集中。指定制限時間の15秒よりもずっと短い時間で解けるアルゴリズムがあるので、この時間指定だと、自分のアルゴリズムが正しいのかどうか生徒が迷ってしまうのではないか、というのが大きなクレーム理由。テストデータによってはステップ数が大きくなるので、これくらいの時間はかかるらしい。少しだけ数学が必要だが、基本的にはアルゴリズムに負う問題。今日は意外なくらいスムーズに決まった。
GAは5時半終了。直ちに、翻訳に入る。
7:30 夕食を取っていると、生徒達がエクスカージョンから戻り、続々と食堂に集まりだした。食堂には翻訳が終わったリーダー達もいるので、生徒とリーダーのニアミスが発生。少し経ってからスタッフが気づいて、リーダー達にC棟(生徒立ち入り禁止)に戻るように要請があった。IOIにおけるこのようなルーズな運営(質問に答える方式もそうだが)は昔からだが、韓国でやったときはその辺りのこともきちんとやったんだけど、その後また元に戻ってしまった、とキム先生も嘆いていた。


8/22 (Mon) コンテスト第2日

コンテスト第1日と同様。ただし、我々は待機している必要もなく、会場にいても暇なだけなので、オブザーバー用に用意されていたエクスカージョンに参加。Tetra山系の1つのピークKasprowy Wierch(有名なスキーリゾート)と、その麓の町Zakopane.
夜8:00からGAミーティング。

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8/23 (Tue) エクスカージョン第2日

8:00 ホテル出発、Wieliczka岩塩鉱ヘ向かう。
10:00 ほぼ時間通り着くも、入場まで長蛇の列で、結局入場できたのは11時頃。1グループ35人までのガイド付きツアー。First Levelまで歩いて3百数十段、そこから、いくつもの部屋(ドアで区切られた部分)を見ながら次第に地下へ下りて行く。途中には、岩塩で作られた彫刻がここかしこにあり、教会やら幽霊の間やら広場やらワイマールの間(ゲーテが見学に来たことを記念したもの)やら、地底湖やら、エキビジョン用広場まである。教会は小さいものの他に、かなり広いものまである(横20メートル縦40メートルくらいか。素晴らしいデコレーション(すべて岩塩鉱の彫刻。周囲の壁に彫られたもの:最後の晩餐の図など)や、シャンデリアまで岩塩製)。ここでグループごとの集合写真を撮影(10ズヲティで配布)。見学コースは全体の1%くらいだとのことだが、それでも壮大な規模が十分窺われる(6世紀にわたって採掘が行なわれたとのこと)。見学できる最深部は地下125メートルくらいで、かなり広いスペースにお土産屋があり、エレベータ乗場への入口となっている。ここも長蛇の列。それでも30分程度でエレベータに乗れた。8人乗りが2台重なった構造で、すし詰め(採掘用だったものをそのまま利用しているらしい)状態で、1分くらいで地上へ。毎日数千人の観光客があるとか。入場料48ズヲティ。
12:45に出発予定が1時間ほど遅れて(入場が遅れたためと、バスに帰ってこない人が一人いたため)出発。
3時近くにクラクフ市内のバベル城裏の駐車場に着く。かなりの雨。1台に数人が乗れる車を何台か連ねた観光用のミニカーに乗り(5ズヲティ)、市内中心部の広場へ。
5時 出発時間を過ぎたが、またもや待たされる。また、誰かが戻って来ていないらしい。
やっと出発して1時間ほどで、郊外の古城で夕食。シスローさんが説明してくれたところによると、ここは最近まで近くに重工業の工場があったので、化学物質の汚染で城は朽ちかけていたが、最近やっと修理してきれいになり、今では会議やこういう集まりに使われているとのこと。夕食の部屋は3つ。1つのテーブルに10人くらい。シンガポールチームと同席。夕食はフルコースのディナー。魚料理、肉のメインディッシュと続き、おいしい。なかなか素晴らしい。管楽トリオによるクラシック生演奏あり。
シンガポールチームとの会話。予選の受験者は100人程度。3ヶ月の間に週2回くらいのトレーニング。運営を好んでやる大学人がいないのは日本と同じ。3ヶ国語が必須(中国語、英語、第3はフランス語・ドイツ語・日本語から選択)。これは以前マレーシアのリーダーに聞いたのとよく似ている(マレーシアでも3ヶ国語が必須)。
予定時間を30分ほどオーバーして、10時頃に会場を後にする。12時近くにホテルに帰着。

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8/24 (Wed) 閉会式(表彰式)

8:00 GAミーティング。
@2009年の開催国の決定。ブルガリアとカナダが立候補していたが、IC で無記名投票の結果、ブルガリアに決定したとの報告。受諾演説あり。
APresidentの選挙。投票権68ヶ国、65カ国が投票。1回目の投票では最多得票の中国も27票で過半数に達せず。上位2人で決選投票。過半数をわずかに上回った36票で中国のリーダーZide Du氏がPresidentに選出された。
ISC メンバー一人の選出。これも演説の後、69票:17票という大差でTomが選出された。 Tomはオランダ大会以来親しいが、IOIのScientific面での仕事にずいぶん関わっていて、今年はISCのチェアーをやっている。今回はあまり話す機会がなかった。ICメンバーは立候補者が一人だけだったので、投票無しの拍手で承認。

来年からLinux オンリーに移行することに関して議論。アンケートによると、生徒達には好評。会場で出た反対意見(ロシア)は年寄りのノスタルジアか? GAメンバーの意向と生徒の意向は違う。生徒にとっては、Linuxなど1時間も触れば使えるようになる。どっちが好きかではなく、どっちがコンテストに適しているかが大事(efficiencyなど)。将来のことを考えるとLinuxの方が良い。ソフトウェアのライセンス料(マイクロソフトだと大きな金がかかる)も一因か? 今年の12月には試験実施システムのテスト版を配布する予定とのこと。来年の4月にはホスト国から環境についてのアナウンスがある予定。

2:45 バスで閉会式の会場へ。会場は開会式と同じ、市の体育館。
3:30〜4:30 開会前に、5人の若者によるラップ。これは若い生徒の受けを狙ったもの?
お偉いさんの挨拶の前に、@パズル(毎日発行されたNewletterに掲載されたもの)のベストスコアを出したリーダーに賞品授与。A youngest medalist (スイス)へ特別賞。B特別表彰3人あり(IOIへの貢献者)。
バイオリニスト(経歴を紹介されたがマイクがハウリングしてよく聞き取れず)が1曲演奏。以後、メダルの色が変わるたびに演奏(少しずつ演奏スタイルを変える:2曲になり、演奏者が2人になり、といった具合)。メダリストを順に壇上へ呼び上げる。今年は(いつから始まった?)銅メダリストにも賞品あり。銀メダリストに2人の女性が入り、一段と高い拍手。最後は4人の満点(600点)の表彰。 賞品はMacのPC。表彰式終了後、会場出口でメダリストのリスト(順位、名前、国、問題別得点)が配られた。
表彰式後、すぐにバスでWSBへ。 6:00からバンケットとのことだったが、普段の夕食に毛が生えた程度(食事メニュー が普段より少し豪華。各テーブルに蝋燭が点灯。コックが三角棒を被っているetc.)。 ディスコがテントであったようだが、参加者は? この部分は少し寂しい感じ。
8時のバスでホテルへ帰る前に、マリアを探して、お礼のお土産を渡して記念撮影。

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8/25 (Thu) 出発日

6時起床、6:30朝食。7時のバスでクラクフ空港へ。
10時に空港着。フランスのリーダーと立ち話で、フランスにおける国内の選抜とトレーニングの方法について聞いた。アメリカチームのadjunct(付き添い)も割り込んできて、議論。
フランスはコンピュータに関心のある生徒が少ないので、0次選抜はウェブ上で。20人程度を選んで、2回に分けてトレーニング(生徒によって長期休暇を取れる時期がずれるため)。それぞれ1週間ずつの2回だけ。その後は、ウェブ上でトレーニング。毎年少しずつ成績が上がっている(今年は金1、銀1、銅1、その他1で大満足)。確かに、以前の成績は散々なものだったなぁ。
11:00頃、チェックイン開始。コンピュータが遅くて4人のチェックイン処理だけで1時間もかかる。バスの中で弁当セット(調理パン3個、りんご1個、ミネラルウォータ1本、チョコレート1個:Arrival dayに空港へ迎えに来てくれたときも同様な弁当が配られた)をもらったので、それを食べて昼食とする。
12:30 入場。まもなく、12:55発の予定が、悪天候による到着の遅れのため2:30に変更になるとのアナウンスあり。米国チームのAdjunctと副リーダーたちの飛行機はこの1つ前の便もキャンセルになった上に、今度は1時間半遅れた(この後、彼らと我々が乗る予定の便より先に、後発予定の便が先に出発するという事態も起きた)ので、相当頭に来て、""Kill you" とか叫んでいたようだ。
2:40頃 クラクフ発。プロペラ機。これが悪天候で遅れた原因か?
19:05発AFでパリへ。2時間30分。
パリでは順調にチェックイン。帰り便は23:25発。26日の18:00成田着。前日、大型の台風が日本を襲ったようだが、うまく避けることができたようだ。


傾 向

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