第23回国際情報オリンピック タイ大会 参加報告

日本選手団 団長 伊藤哲史

  1. 概要
  2.  第23回国際情報オリンピック(IOI) タイ大会は,7月22日から29日までタイのパタヤで行われた.今年の IOI には78の国・地域から,302 人の選手が参加した.これ以外にオブザーバー派遣のみの国が 3ヶ国 (ボリビア,マレーシア,ウズベキスタン) あった.
     競技日は7 月 24 日と 7 月 26 日の 2 日間である.競技では 1 日あたり 3 個,合計 6 個の課題が出題された.1 課題の満点は 100 点であり,競技全体では 600 点満点である.6 課題の合計点で競われ,得点の上位者がら順に一定の割合で金・銀・銅のメダルが授与される.全参加者の約半数にメダルが与えられ,メダル受賞者のうちの金・銀・銅の割合はおよそ 1:2:3 である.今年のIOIでは,金メダルが27人に,銀メダルが49名に,銅メダルが75名に授与された.
     日本選手団の成績は,村井翔悟君が金メダル,今西健介君,城下慎也君,原将己君が銀メダルであった.村井君は2010年カナダ大会でも金メダルを受賞しており, 2 年連続金メダルの快挙である.村井君は全体でも 14 位というすばらしい成績であった.原君,今西君も 2 年連続のメダル受賞となった.原君は銀メダルの最高順位 (28位) で金メダルまであとたった7点 (600点満点中) という好成績だった.城下君も32位 (金メダルまであと20点) と,IOI初参加ながら,堂々たる成績であった.
     
    IOI2011 日本選手団
    日本代表選手
    金メダル 村井翔悟 開成高等学校 高2
      銀メダル 今西健介 八千代松陰高等学校 高3
      銀メダル 城下慎也 灘高等学校 高3
      銀メダル 原将己 筑波大学附属駒場高等学校 高3
    日本選手団役員
      団長 伊藤哲史 京都大学・准教授 '94スウェーデン大会・'95オランダ大会日本代表選手
      副団長 谷聖一 日本大学文理学部・教授
      随行役員 今城健太郎 京都大学M1 '06メキシコ大会日本代表選手
      随行役員 奥田遼介 東北大学4年 07クロアチア大会日本代表選手
      随行役員 渡部正樹 東京大学M1 '06年メキシコ大会日本代表選手

     IOI は個人競技であり,公式な国別順位は存在しないが,参考までにメダル数に基づく日本の国別順位は 8 位タイである (1位中国,台湾,アメリカ,4位クロアチア,5位ロシア,6位タイ,ポーランド,8位日本,ベラルーシ) .また,総得点に基づく順位は6位である (1位中国,2位ロシア,3位アメリカ,4位台湾,5位クロアチア) .昨年のカナダ大会 (金2個,銀2個,メダル数は2位タイ,総得点は4位) と比べると少し下がってしまったが,その内容は,昨年に匹敵する好成績だったと思う.

  3. 大会運営について
  4.  今年の IOI の特徴は,何と言っても,運営組織が非常にしっかりしていたことである.開会式は盛大に行われ,タイ国王の 84 歳を記念するビデオ映像の後,タイの古典舞踊「コーン」などの様々なパフォーマンスが繰り広げられ,アピシット首相による銅鑼の音により開会が宣言された.タイが国を挙げて IOI を支援している様子が伝わってきた.タイは今年の IOI では金メダルを 2 個獲得しており,IOI 強豪国の一つである.
     IOI が行われたパタヤは高級ビーチリゾート地として世界的に有名で,世界中から多くの観光客が訪れている.IOI 会場はパタヤ中心街から少し離れた丘の上にある Pataya Exhibition and Convention Hall (PEACH) で,選手団の宿泊先は PEACH のすぐ隣の高級リゾートホテル Royal Cliff Beach Hotel (RCB), Royal Cliff Grand Hotel (RCG) である.
     開会式,閉会式,競技は全て PEACH で行われた.競技会場・ホテルともに町から隔離されていることもあり,治安はとても良く迷子になる心配も無い.安心して競技に臨むことができた.ホテルの敷地は十分な広さがあり,プールやプライベートビーチもあったので,敷地内に閉じ込められているという感覚は一切なく快適であった.IOI という国際的なコンテストにとって理想的な会場だったと思う.また,日本選手団ガイドの Yanika さんは日本留学経験もあり,選手たちと日本語でコミュニケーションをとってくれた.お陰で,選手たちは,慣れない異国の地でも大きなストレスを感じることなく,また体調を崩すこともなく,競技に集中できた.これは非常に大きかった.
     なお,これは帰国してから気付いたことだが,例年 IOIでは名前,国名,顔写真が印刷された首から提げるタイプの名札が配られるが,今年の名札の裏側には宿泊先のホテル名だけでなく警察や救急連絡先 (日本の110番や119番にあたる番号) が印刷されていた.万が一のことも考え,細かいところまで気配りの行き届いた運営だったと改めて実感した.

  5. 観光・国際交流について
  6.  競技環境の詳細については後で述べる.競技が IOI の柱であることはもちろんだが,選手同士の国際交流も IOI の目的の一つである.そのため,IOI では競技の合間に観光や交流のプログラムが組まれていることが多い.
     今年の運営組織がしっかりしていたこともあり,観光や国際交流のプログラムも例年以上に充実していた.観光プログラムは,年によっては遊園地に行って「遊ぶだけ」のことも多いが,今年の観光プログラムはタイの文化にも触れられるように工夫されていた.
     最初の競技日の翌日,7月25日には,ノン・ヌッ熱帯植物園 (Nong Nooch Tropical Garden) に行った.植物園では世界各地の庭園を模した美しい庭を楽しんだ.また,タイの民族舞踊やムエタイなどのショーや,象の芸などを鑑賞することもできた.2 日目の競技日の翌日,7月27日には,選手たちは Ancient City Samuthprakarn という様々な建築が展示された公園に行った.競技終了後ということもあり,リラックスした雰囲気で観光や国際交流を楽しんだようである.なお,この日の団長たちのプログラムは,バンコク市内観光であった.
     これ以外に,空いた時間にパタヤ市内の水上マーケット (Pataya Floating Market) に行き,タイの各地の文化に触れることができた.水上マーケットへの送迎バスはガイドの Yanika さんが手配してくれた.選手たちが水上マーケットをとても気に入ったので,最終日の空いた時間にもう一度行くことになった.タイならではの飲食物を堪能することができた.
     また,選手たちには Variety for Fun (いろいろな種類の楽しみ) の時間も設定されていた.私は直接は見ていないが,選手の話では,他国の選手と一緒になってスポーツを楽しむ時間だったようである.また,空いた時間に,他国の選手の部屋を訪ねたり,インターネットルームで他国の選手に話しかける等して,国際交流を楽しんだ選手もいた.

  7. 競技環境について
  8.  今年の IOI の競技環境について気付いたことを述べる.

     (1) IOI のルールは毎年少しずつ改訂されているが,今年の最も大きな変更点は,1 日あたりの課題数が 4 個から 3 個に減らされたことである.IOI では伝統的に 1 日あたり 3 個 (2 日間で合計 6 個) の課題に取り組む方式がとられてきた.2009年のブルガリア大会から1日あたりの課題数が 4 個 (2 日間で合計 8 個) に増え,ただし4個のうちの1個はとても易しい課題となった.これは IOI に参加する国・地域の数が増えたことへの措置である.この変更は2010年カナダ大会でも引き継がれたが,今年になって以前の方式に戻った.易しい課題が無くなった代わりに,各課題がいくつかの小課題に分割され,小課題の中に易しいものが含まれるようになった.
     この変更は,以下に述べる 2 つの理由から,日本選手にとって望ましいものであった.1 つ目の理由は,追加された課題は日本選手のレベルからすればとても易しい課題ではあるが,満点を得るにはそれなりに注意深く取り組む必要があることである.とても易しい課題で時間をロスしてしまうと,本来時間をかけるべき難しい課題がおろそかになってしまう恐れがある.とても易しい課題の存在は選手に余計なプレッシャーを与えるかもしれない.とても易しい課題が無くなったことは,日本選手にとって,歓迎すべきことであった.
     もう 1 つの理由は,課題数が減ったことで,日本のように問題文を翻訳しなければならない国は,1 課題あたりに多くの時間をかけて翻訳することで,訳文の質を上げることができるようになったことである.しかし,現実はそう甘くはなかった.実際には,2 日目の問題文は原文 (英文) で合計 13 ページもの長文であり,結局,日本チームは深夜 5 時近くまで翻訳作業に追われることになった.問題文の長さは GA meeting でも議題に上がったものの,残念ながらあまり真剣には取り合ってもらえなかった.英語や英語に近い言語を母国語にする国・地域と,日本のように英語から遠い言語を母国語とする国・地域とでは,翻訳に対する考え方は大きく異なるのが現状である.

     (2) 2010年のカナダ大会では IOI 競技に関して様々な改革が行われた.そこで導入された「プロシージャー方式」は今年も継続された.選手は,実行可能なプログラム全体ではなく,アルゴリズムの根幹をなす「プロシージャー」のみを提出する.また,プログラミング・テスト環境として,RunC と呼ばれるソフトウェアが提供される.これにより,選手は入出力インターフェースを実装する手間が省け,入出力の些細なミスで失点することが防げる.過去の IOI では,入出力の仕様を間違えていたために大きく点を落としてしまった人もいたが,そうしたミスも防げる.ただし,RunC 環境に慣れていないとデバッグがやりにくくなるという欠点もある.
     残念ながら,日本情報オリンピック (JOI) の「プロシージャー方式」や RunC 環境への取り組みは遅れているのが現状である.今年は,JOI の予選・本選・選手選考会ともに旧来の方法で行ったため,「プロシージャー方式」や RunC 環境に慣れる時間はなかった.幸いなことに,今年の日本選手は,プラクティス等を通じて自主的に予習してくれたようで,競技に大きな支障はなかった (もちろん 4 人の選手のうち 3 人がカナダ大会の経験者であるというのは大きい).来年以降の IOI で「プロシージャー方式」や RunC が継続されるかどうかは分からない.継続される可能性もあると思う.今後は,JOI でも何らかの対策が必要かもしれない.

     (3) 2010年に導入された「トークン方式」は今年も継続された.選手には 30 分ごとに 2 個のトークンが与えられる.選手はトークンを使うことで,プログラム提出時に自分の得点を知ることができる.これにより,些細なミスで大きく点数を落とすことが無くなり,選手は自分の実力を十分に発揮できるようになった.この「トークン方式」の導入により,デバッグが容易になり,上位の選手間では得点差が付きにくくなった.一度でも大きなミスもしてしまうと挽回しにくくなった.昨年と同様,今年も上位陣はかなりの接戦になった.
     細かいことだが,カナダ大会では,トークンを各課題ごとに最大 2 個までしか所持できなかったのに対し,今年は時間経過とともに所有トークン数が (30 分に 2 個の割合で) どんどん増えていくように仕様が変更されていた.こうした細かい仕様はルールに明記されておらず,GA meeting での事前のアナウンスも無かった.

     (4) これも2010年から導入されたものだが,競技中の選手の得点をウェブページを通じて見ることができる「スコアボード」は今年も継続された.スコアボードは全世界に公開されていたので,日本を含めて,様々な国からスコアボードを通じて選手の活躍を応援した人も多かったと思われる.
     今年のスコアボードは昨年以上に凝っていて,選手の名前が画面上を動いていて,加点すると画面の上部にふわふわと浮いてくるといった,見る者を楽しませる工夫もあった.スコアボードのサーバーが重く,更新に時間がかかるといった課題はあったが,選手の生の活躍の様子を多くの人に伝えることは,IOI を競技イベントとして盛り上げるために大切なことだと思う.
     スコアボードの導入により,選手は競技終了直後に自分の得点だけでなく,自分の順位やメダルの色までも分かってしまうことになった.以前の IOI では,表彰式が行われるまでメダルのボーダーラインが分からず,それが表彰式の緊張感や価値を高めていたという面もあるため,スコアボードには賛否両論あってもおかしくない.しかし,実際には,スコアボードに対し否定的な意見はほとんど聞かれなかった.来年以降もスコアボードが継続される可能性はあると思う.

     (5) 今年出題された課題は,標準的な形式だがよく練られた良問 (難問) が多く,さすが IOI と言えるものだった.分野としては,グラフアルゴリズムを問う課題が多く出題された.アルゴリズムの基礎をしっかりと身につけた日本選手にとっては,取り組みやすい課題が多かったと思う.それが今大会の好成績の一つの要因だと思う.もちろん,Dancing Elephants のような超難問もあり,競技のレベルはとても高いものだった.どうやって手を出したらよいのかさっぱり分からない奇抜な課題は出題されなかった.唯一,Parrots は昨年の Saveit を彷彿とさせる符号化・復号のアルゴリズムを問う課題だったが,これは本質的に組み合わせ論の古典的な問題に帰着されるもので,符号化・復号の発想力そのものを競う課題ではなかった.今年の競技課題は,選手の実力が得点に反映される良いセットだったと思う.
     出力のみの課題 (output only task) や,カナダ大会の Language のような新傾向の課題は出題されなかった.採点方式も,解の質を公式を用いて採点する方式が一部 (Parrots の小課題 5) で採用されただけで,それ以外は提出プログラムがある基準に達したかどうかを小課題ごとに all or nothing で判定する方式だった.課題の種類や採点方式については,IOI の伝統的な方式に従ったものだったと言える.

     (6) 競技中の不正行為への対策はより厳密に行われるようになった.例年,選手はプラクティスの時間中にキーボード,小さなマスコット,辞書 (電子辞書は不可) をテクニカルスタッフに預けることで,競技中に使用することができるが,今年はこれに加えて,当日使用する上着や筆記用具も事前に預けることが求められた.当日の選手は,財布も含めて全ての持ち物の持ち込みが禁止され,簡単なボディーチェックも行われたようだった.
     こうした運用上の変更はルールには明記されておらず,若干戸惑うことになった.不正行為が許されないことは言うまでもないが,厳格すぎる対策は選手に余計な緊張を与えてしまいかねない.上着を預けてしまったらプラクティスの日の夜は選手は何を着ればよいのだろうか?幸いなことに,日本選手は特に混乱することもなく無事に競技を行うことができたが,事前の説明がもう少しあっても良かったと思う.

     (7) IOI では伝統的に難しいアルゴリズムの設計に時間をかけて取り組む課題が出題される.得点は解答の正否や質によって決まり,早く解くことが評価されるものではない.他のコンテストの中には,プログラミングの技術や速度を競うものもあるから,これは IOI の大きな特徴と言える.ところが,今年は少し違う傾向も垣間見えた.定数倍オーダーの改良を要する小課題が出題された.表彰式で最も早く解いた人に特別賞が与えられた.これには賛否両論あるのではないだろうか.こうした試みを,『IOI らしくない』と思った人も少なからずいたと思う.

  9. 日本人の IOI への貢献について
  10.  最後に,日本人の IOI への貢献についても述べる.選手が競技を行っている時間帯に,団長たちを対象に IOI Conference が開催され,各国のコンテスト環境や数理情報科学教育について様々な議論・意見交換が行われた.今年の IOI Conference には,現地の高校の先生が多数オブザーバーとして参加しており,例年以上に注目度が高いものだった.今年の IOI conference では,随行役員の今城健太郎さんが無線ネットワークを使った日本の競技環境についての講演を行い,谷聖一副団長が日本の高校での数理情報科学教育の現状について報告を行った.また,これは日本選手団とは独立だが,保坂和宏さん (IOI2008/2009金メダリスト) がタイの HSC (Host Scientific Committee) から特別に招待され,運営側から今年の IOI を支えていた (保坂さんには問題文の翻訳作業も手伝っていただきました).こうした貢献が,将来的に,日本の数理情報科学教育の充実に繋がり,日本選手のさらなる活躍に繋がっていくと期待したい.

  11. 感想
  12.  今年の IOI に参加した選手たちは競技や国際交流を通じて多くの刺激を受け,大きな自信を持ったと思う.それと同時に,世界にはまだまだ上には上がいるということも実感したと思う.今回の経験を糧に,選手たちには,これからも世界で活躍していってほしい.また,今年の日本選手の活躍に刺激されて,来年以降,多くの中高生が JOI に挑戦し,そして IOI で活躍してくれることを期待したい.